★ 9月の表紙絵 ★

※ 2009年9月17日の記事を、画像を加え再編集しました ※
 
9月の少女雑誌の表紙を集めました。年代順にご紹介していきます。
 
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「 少女の友 」 大正9年  作画 川端 龍子  
 = 「 少女涙物語号 」 =
 
この当時の(物語)は、多くが悲しい結末で終っています。
幼くして、労働に従事する事が、ごく当たり前だった昔の日本。
そんな環境で <物語を読む少女たち> は恵まれた立場でもありました。
 
< 嘆き・悲しむ >という感情 < 悲観にくれる >という心情。
その優しさは、ある種 「特権階級」的なものであったかもしれません・・・・・。
 
 
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「 少女の友 」 大正10年 ※ 作画 原田 なみじ
= 「 少女音楽号 」 = 
 
翌年は( 音楽 )特集号。主に西洋音楽の普及を促進しています。
記事の中で興味深かったのが「 支那音楽 」について。
記述によると・・・・・。
 
「 日清戦争の前は、支那の音楽がたいへんに日本で流行したものでした。」
「 一般の集会で。上下の家庭、学生などでも支那音楽が喜ばれて、知らない人はない位なものでした。」「 今でもその名残として、地方を廻る法界節には、どこか支那音楽の流行ったころの面影がしのばれます。        
※ 本号( 音楽つれづれ話 )より
 
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「 少女の友 」 昭和8年 ※ 作画 深谷 美保子
 
簾のかけられた縁側に、団扇を手にした少女。浴衣は、大胆なとんぼ柄。
残暑が厳しい、夏の面影を映した表紙画です。
 
※ 夭折した女流画家 = 深谷 美保子 = ※
 
深谷美保子は(少女の友)の読者でした。
片足が不自由であった彼女は、絵画欄への投稿をきっかけに画家への道を歩みます。
昭和初年度には、同誌で表紙と挿絵を担当しました。
昭和12年、34歳の若さで病没。
 
細く繊細な絵筆は、彼女の儚い人生を連想させます。
それでも・・・・・。
 
真直ぐな瞳。引き締まった口元の少女たち。
深谷美保子は短い画家人生の中で、
凛々しい少女像を、見事に描き上げたのでした・・・・・!。
 
 
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