青い目の人形展・岩手町
岩手町・石神の丘美術館で
「 岩手に残る青い目の人形展 」が開催されました。
岩手県内に現存する
「 青い目の人形 」を展示。
当時の証言も交えながら、
戦争と平和を語り継ぐ企画展です。
岩手町では(親善大使)としての、2体の西洋人形が大切にされています☆
「青い目の人形」 1927年( 昭和2年 )
アメリカから12、739体もの人形が贈られました。
全国で大歓迎を受けたお人形たち。人形を迎えた歓迎会に式典の様子。
「 ママー 」の音に、目を輝かせた子供たち。
雛祭りと一緒にお祝いし、季節ごとに着せ替えもされた
= 「 アメリカ生まれのお人形 」 =
貧しい時代ならではの、「大切な宝物」としての人形。
極端な貧しさから脱した現代では、もう誰も体験することはない、人形との関わりかもしれません。
戦争に入り、アメリカ生まれの人形たちがひどい扱いを受けてしまいます。
破壊・処分されたことは哀しい出来事であり、多くの人が知る史実でしょう。
私自身は、子供の頃にテレビで「青い目の人形」を扱ったドラマを観ています。
= 「 人形が磔にされ、竹やりで破壊される 」 =
残酷な場面に、ぼろぼろ泣いたのをハッキリと憶えています。
当時の狂った状況。子供も巻き込む、辛すぎる監視下。
世代が違っても、体験していなくても・・・。
コドモながらに・・・苦しくなる思いでした。
今回は、岩手県に残る人形を集めた展示会。18体の人形が現存しています。
※ 会場での撮影は禁止のため、書籍からアップさせていただきます。※
軍より「 処分するように 」の命令の下、どうして人形が残ったのか・・・?。
それは =( 守った人がいたから )=
「青い目の人形」と関わった人々の声は大変に興味深く、貴重な証言でした。
青い目の人形が迎えた、戦時下。
命令の元で、人形を守り、隠すのには、大変な勇気が必要なことでした。
そして同時に、人形が処分されるのに立ち会った人々の証言。
辛い経験をした、女性教員に子供たち。
幼稚なまでに、玩具の人形を破壊しようとする、青年団長や教官・・・。
会場で購入した書籍には、
「青い目の人形」を取り巻く、様々なドラマが綴られていました。
さて帰宅後、購入した本を読んでいたら・・・。「 えぇ!?。\(◎o◎)/!」
「 青い目の人形が配布された学校 」のなかに、母校の名前が!
それも、幼稚園と中学校の2校!
・・・・・そんな話しは、学校史でも全く耳にしたことがなかったのに・・・!
さすがに縁が無いと思っていた「 青い目の人形 」。
遠い時代を経たところで、かすかな繋がりを持っていたのでした・・・。
参考書籍 「 岩手に残る 青い目の人形 」
著者・加藤 昭雄
熊谷印刷出版部