母とムスメの文化人形

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「まんま工房」は、ワタシの母のディーラー名です。ブログタイトルは「文化人形のつぶやき」。
文化人形と張り子が中心で、イベントではワタシと一緒に展示していましたが、
現在では、もはや娘のワタシを踏み越えてwwwイベントに参加できるようになりました。

 この場をお借りして、皆様にお礼を申し上げます・・・!。ヽ(^o^)丿

母娘でこうした活動をしていると、必ず( 人形好きの仲良し母娘 )というお言葉をいただきます。
い~えいえ、トンデモナイ・・・!。一切、人形などとは縁の無い生活を過ごしてきたのが、我が母親でした。

意外なキッカケは、娘のワタシが文化人形を欲しがったことから始まります。

荻窪のアンティーク屋さんで、文化人形の手作りキットを見つけ、母ではなく伯母(「人形浪漫館」伯母のあみぐるみに登場)にお願いしたことからでした。

複雑な工程の文化人形は、和裁が得意な伯母をも悩ませてしまいます。
困り果てた伯母の様子を知った母が、「じゃあ、私に任せて。」と引き受けた事が・・・。
後の「まんま工房」の始まりとなるのでした。

(2,3時間で出来るだろう)と思ったそうですが、想像以上の時間がかかり、なんと朝方まで!。
怒りの手紙とともに、ワタシには宅急便で可愛い文化人形が届きました・・・。

この文化人形を、イベントのディスプレーに飾りました。すると、思いがけなく欲しがってくださる方があって、そのままお嫁入り。
喜んだ母は、この日の晩から夢中になって文化人形の制作に取り掛かります!。

負けずギライな母は「 不器用な娘(ワタシ)に人形が作れて自分に出来ないはずがない!」・・・と言ったとかいわないとか。

 図書館に通い資料を集めて調べたり、市川こずえ先生主催のコンテストにも応募。
その奮闘ぶりは、家族にもちょっとした事件でした!。そして、母自身にも説明のつかない変化があったようです。

キットを販売していたアンティーク屋さんの品々。昭和時代の古い駄玩具と当時の文化人形。
紙細工、おはじき、モール人形・・・。 昭和15年生まれの母は、当時の貧しい生活を知っています。当時の生活を連想させるからと生活骨董が嫌いで また可愛い物は一切苦手な母でした。

奇跡のように、現存していた駄玩具に 驚きを受けて、「ショックな自分がまたショック」。 やはり、歳を重ねたのでしょうか。 それとも、人形のもつ力なのか・・・?。

ワタシの地元のタウン誌に、母の人形を紹介していただきました。
母娘で必死に注文分を作ることになり、この頃からずいぶん電話で話す事が増えた気がします。

ご近所のおばあさま方からも頼まれて、文化人形を通してお話するうちに、思いがけなく母の昔の苦労話も聞きました。
商家に嫁ぎ、舅姑の苦労や、介護、時代が変わり、傾く商売の苦労。夫であるワタシの父の死・・・。
趣味を楽しむ余裕など無い生活でした。

現在は、弟が母のサイトを作り(工事中)家族でイベントを手伝います。
たまに教室で教えるのですが、小さな講習でも、その下準備は大変な作業のようです。
ただの趣味ではなくて、3年足らずの間に本当にいろいろな経験がありました。

「可愛いもの」「懐かしいもの」が苦手だった母と、そんなものばかり追いかけてきた娘の私。
文化人形が、そんな趣味の合わなかった母娘をつなぐ橋渡しとなってくれました。

 そして、文化人形を喜んでくださる当時の少女だった素敵なお客様たち★。
「まんま工房」とその娘は、感謝の気持ちでいっぱいです・・・☆☆。(*^_^*)

※ 2004年書き込みの記事に加筆・修正を加えました。