その日 2 地震の時

イメージ 2電気復旧までの丸一日、ロウソクの灯りと懐中電灯。
石油ストーブで過ごしました。
電話はもちろん、携帯通話もメールも、まったくつながりません。 
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※ 石油ストーブが暖房と照明になって、とても役立ってくれました ※
 
 
夜の9時にワンセグを使うと、やはり「報道特別番組」
・・・・( スゴイコトニナッテル?? )・・・・・。 
追い討ちをかけるように、何度も震度3,4の余震!!
 
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携帯の充電も尽きてしまいました。バッテリーが弱い?らしくて、乾電池式充電器もさっぱり・・・↓↓
「 もう、早く布団に入ろう。朝がくるまで、何もムリだ 」
 
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・・・・・ここからが長い一夜でした。不安と余震で、眠れない!!(泣)
停電では何も出来ない。妙にアタマが痛くて、神経ばかり高ぶります(泣)。
 
1974年=「 日本沈没 」=というパニックSFが大流行していました。
ドラマ放送もあったので、当時小2のワタシは、本気にビビリまくった・・・という思い出があります(汗)
70年代には小学生向けでさえ、容赦ない写実的イラストがあって・・・。
 
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※ その当時の挿絵とか表紙とか・・・。※
 
嗚呼やっぱり、トラウマになっていたっ!!
だって小学二年生にもこんなのが載ってたしっ!!
忘れてたはずの絵が甦ってくるし~~!!
 
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最後に時計を確認したのが朝5時半。目が覚めたら午前11時。
携帯は繋がらないまま。停電もそのまま。
ラジオの情報では、盛岡は停電と断水。破滅的な被害はありません。
・・・・・沿岸部があまりにも酷いようです。
 
使えない電気の事は、考えないようにしていました。
使える水道とガスの有難みを痛感です。
 
陽があるうちに、夫婦二人で食材を必死に炒めて&茹でて!!。
台所で指示を出しても、「モノの名称」や「場所の表現」がすぐに出てこないっ
ワタシナリに不安で、どこか混乱していたのでしょう・・・。
 
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※ 続きます ※