レディリカのまぼろし

イメージ 1
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
レディリカは、タカラから1973年に発売されました。
 
「 リカちゃん人形 」=( 香山リカ )とは、
全く違うコンセプトで企画&販売された新シリーズ。
16歳の「北原リカ」という設定で、購買ターゲットは小学校高学年~中学生。
 
 レディリカの髪の色は5種類。全て揃えるのがコレクターの夢であり&目標です☆
 
 
イメージ 3イメージ 4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
発売から40年近く経った現在=ドールコレクターの評価が高い「レディリカ」シリーズ。
 
もちろん、ワタシも是非!レディリカを手に入れたかったのですが・・・。 
人気が高いために結構なお値段!。 
 自分には=全く縁が無かった人形=という認識もあり, ずっと見送りを続けていました。
 
    
 
年月は流れ、コレクターになった現在の自分。
高額なレディリカは入手出来ないまま(ツクダ製のドレッサー)を格安値で手に入れます。  
 
イメージ 13
現物を手にして、そこで 「・・・!!!」  
「 ・・・こ、これ覚えてる!?」  
 
付属小物の中には、外人男性の写真立て。
そして( 口紅 )が見つかりました・・・。
 
イメージ 12
 
  
ちいさな口紅が記憶の鍵。 まさに( 煙に包まれた )ような心地。 
湧き上がった記憶と、オドロキの余り・・・混乱しそう!。

 ・・・それでも冷静にならないと!。違ってたらガッカリだし調べなきゃ~っ!!
資料が少ないレディリカ。
慌てて、他の資料本やらブックレットをひっくり返し、ネット検索!。
 
 
イメージ 5
イメージ 6
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
ツクダ製の家具シリーズ=「 レディリカ ファニチュアはなよめ 」と同じ品物=
であることが、確認ができました。
 
幼い記憶と、資料と、思い込みの誤り・・・。そのすべてが合致しました。 
目前に現れた一つの場面。
~レディリカとの再会です~ 
 
    

レディリカが発売された1973年当時、ワタシは小学一年生。
・・・・・もう、物事が理解できる時期。 
祖母が病気から寝たきりに。
そんな中に弟が生まれ、7人家族になったこと。 
 
子供ながらに感じていましたが・・・。
当時の母は「介護」と「子育て」 両方の負担。そして「家業」
嫁としての苦労を、最も強いられていた時期でした。
 
そんな日々の中、病院の一室で。
伯母がプレゼントしてくれたのが、このメイクアップセットでした。
 
イメージ 7
 
~~~ 夢のような白いドレッサーを、ぼうぜんと見とれている幼いわたし。~~~
傍には伯母がいてくれました。
 
イメージ 8
 
外人男性のフォトスタンド。 
( この人、リカちゃんのパパなの?。)
( じゃあ、リカちゃんは、本当に何処かにいるの??)
拙い、コドモの疑問。
 
 
 
イメージ 9
 
 
 
 
ちいさな赤い口紅。  
くちびるに近づけて、眼を凝らして&よ~く眺めて・・・。
 

 
そして、ドレッサーの記憶はこれが最初で最後。
ワタシはこの宝物を二度と手にすることは出来ませんでした。 
 
何処を探しても、見つかりません。 
(ねぇ、あの白いお化粧台は?。口紅は?コンパクトは?。ねぇ写真は・・・?) 
 応えてくれる人はいません。 
 
現実の日々は、介護と乳児を含めての大家族。
家中が散らかり、泣き声と怒号で毎日が戦場

当時がひどく息苦しく、暮らし難い環境であったことをぼんやり記憶しています。
子供のオモチャを大切に扱う余裕はありませんでした。
 
喧騒の最中だった時代、灯しびのような思い出。 
レディリカを手にした ほんの短い時間。 
 
  
イメージ 10イメージ 11

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 レディリカとの再会は まぼろしの中で。 
ちいさな口紅を手にして、なんだか出来すぎている気さえもして。 
 
よみがえった記憶と再会に、ただ呆然とするだけなのでした・・・!。
 
 
イメージ 14
 
 
※ 長い思い出話にお付き合いくださり、感謝申し上げます☆ ※
 
※ 2005年 本サイト「 人形浪漫館 」より転記・加筆修正いたしました。